非日常の農場で過ごす!
循環農業実践&交流農場
主食生産・供給1
美味しい米の供給協定
交流農場2
記念樹果樹園
農場キャンプ
農場宿泊
醗酵食再構築3
醗酵食供給
醗酵食教室
4循環農業実践
地域内有機資源活用農場
炭素循環農場
四季の農産物・生産供給
5環境学習
ふかふかの土壌
植物と生き物
森の生き物・水辺の生き物
6負荷低減農業
太陽光活用加温ハウス
不耕起
ボカシ・ミネラル・酵素他の資材
人を良くする「食」の生産
土作り八分が基本方針!
あとは栽培技術!
高温多湿の日本の夏を無農薬で乗り切るのは極めて困難。
生まれてきた農産物なる名称の生命体を護るために、薬剤も使います。
ゆえに、オーガニック(有機栽培)は謳いませんm(_ _)m
が、目指せ、不耕起、自然栽培ですね。
階段を一歩ずつ上り詰めてまいります。
非日常の交流農場
農産物を育てて、販売する農業から、
持たざる皆さん(非農家)と一緒に作り上げる農場へと昇華させたい
ゆえに、当初から非農家の皆さんを前提に企画を立てています。
農地法の関係もあり、すべてが最初から簡単に出来るわけではありません。
それでも、
夢舞台(新しい農村のモデルとなる舞台)【やがて農場は楽園になる】!
もちろん、主体は地域民ですが、可能な限り、参画できる農場にしたい!
SDGs大いに結構!
戦後から昭和30年代後半まで。
各農家には、農耕での使役を目的に、馬や牛が各戸で飼育されてました。
ほかに、鶏、山羊、豚などの家畜も飼われてましたね。
電氣は現代のような使い方ではなく、どのお宅でも5蜀と呼ばれた5ワットの電球一個とか多いお宅でも数個の電灯。
ガスも水道もなく、各戸は井戸を持っていた時代。当時に幼児期を過ごした世代。現在の70代以上の世代からみれば、あの時代がSDGsそのものだった!と感じます。
そう・・・江戸の昔から世界に類例のない循環型社会を構築し、それをシステムとして日常化してきてます。
その時代に戻れる筈はありません。農耕は耕運機~トラクターに変わり。田植えから稲刈り収穫までも様変わり。
手植えの時代だと10名で一日に植えられる面積は、精々が20~30aでした。
時代は変遷し、CO2を削減しろ! 牛はゲップを出すから減らせ!との声もあるようです。人にも農地にも善なることはSDGsそのものであろうかと。
ゆえに、SDGSを掲げる農場にしてまいります。
食の本質を追求する
筑波山の西麓に位置する当地。
なんの変哲もない北関東の普通の村。
有機も無農薬も無化学肥料も本来は、
人を良くする『食』の生産供給が目的。
身体が喜ぶ食の生産を追求します。
まずは、植物が喜ぶ土壌づくりからです。
里山保全と活用
北関東の里山は過半が落葉樹でした。
冬に落ちた枯葉を集め、作業場に持ち帰り、
厩肥と混合し、堆肥を作った時代がありました。
この方は名前も知らない方ですが、お願いして写真をとらせていただきました。
とても、とても、貴重な一枚です。
こうすることで、春になると落ち葉が攫われた里山にはワラビやフキが顔を出し、村人はこぞって収穫していた時代でした。
落ち葉を集める折に、笹竹なども切り倒していたからこそ、春の収穫があり、秋になるとキノコが収穫出来てましたね。
むろん、夏には、子供たちは、里山に入り、カブトムシやクワガタムシと遊んだ。
そこで子供たちは、ルールとマナーを学び、併せて自然のなんたるかを体感してた時代。
里山を含めた再構築を農場を舞台にしてまいりたいと思案中。
蛇も野鳥も昆虫も、自然界の一員であることを体験できる場としたい!
土を肥やして未来に伝える
耕畜連携! 炭素循環農業の農場です
農産物は食そのもの。
身土不二や医食同源が古から伝わる金言です。
健康な土を、ミネラル、有機物、土壌微生物、水のバランスと定義づけしています。とりわけ、なおざりにしてきた、有機物と土壌微生物およびミネラルに着目した技術を集積しています。
農場が目指すのは、質がよく栄養価の高い作物を提供する一方で、家族で楽しめる農場を設置し、地域と非農家の皆さんに活用していただくこともひとつです。
様々な表現方法があろうかと思いますが、先人の農家さんの言葉を念頭においた農場運営をしてまいります。
「農地は未来からのあずかもの! ゆえに肥やして還す」
当地は、隣接地を日光連山が源流の鬼怒川が流れています。
旧鬼怒川の流路あとが点在する地域でもあります。
当地の農業は、鬼怒川が運んできた日光連山の有機物とミネラルとで成立していると云ってもあながち間違いではありません。
地域の農家は旧くは室町時代からと伝わります。近隣には、遺跡が点在し、5世紀の豪族の墳墓である前方後円墳も遺されています。鬼怒川の恩恵と先人から受け継いだ知恵をあますことなく、農場につぎ込んでまいります。
循環農業!
畑は森に、田んぼは沼に学べ!
『身土不二』と『医食同源』が柱の農場です
江戸に學ぶ循環社会。
書物によれば江戸時代末期の江戸の人口は100万人。
世界一の都市だったようですね。
海に近い江戸の町は、井戸水が呑めなかったそうです。
そこで造られたのが玉川上水。
農産物は近郷の農家が売りに来て、帰りに、肥を持ち帰ったそうです。
人糞のことですね。
これを醗酵させて農家は土を肥やしていたようです。
そのこともあって、江戸の町や川が汚物にまみれることはなかったとされてます。
この国の農業は、古来から循環農業でした。
Gallery 縄文~現代
農場は縄文遺跡の上にあります。
ある時期までは、縄文土器が発掘されていたようです。
近年は耕すのはトラクターになってしまい
発見されることは稀ですが・・・・・。
縄文~古墳時代~南北朝~室町時代から現代が併存します
私たちの物語
農場を楽園にしよう!
ひょんな事で集った6戸の農家を母体につくった組合が入り口。
上妻地区農業再生協議会『畑作工房』です。
旧村は、市内の北西部に位置する水田と畑が点在するいわゆる農村地帯。高度経済成長の昭和40年代初頭には、農家戸数が800戸を越えてました。
製造業の進出が続き、同時に、離農する農家も増え、現在では、認定農業者は100名に遥かに満たない。
JAの支所も廃止され、集う場所、拠り所がなくなりつつあることに危惧を抱いた農家の勉強会組織でした。
任意団体では事業は出来ないと5名の女性と3名の男性で認定農業法人化を目指し、市役所農政課の支援もあり、法人設立に至ってます
農業は女性があって成立してきました。
これからは女性が主役の農業・農場を目指すべきですね。
男性は、下働きに徹するのがこれからの農業です。
正式名称は、一般社団法人 畑作公社。
これから100年先を見据えた農場づくりに邁進します。
もちろん、自然と共生できる農業・農場でありたい。